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参考:坂下小史、坂下町史、他
坂下神社   椛の湖
坂下神社
創建年代は不明だが、中世には木曽義仲が厚い信仰をよせたことで知られている由緒ある神社である。
  椛の湖
四季折々のリゾートエリアである椛の湖。釣りやボート遊びをはじめ、春の桜や秋の椛の木の紅葉など楽しみはつきない。
坂下の方言 (ヤマコー本社へ電話していただくと生で聞けるかも!?)

  あかすか ダメだ そうやもんで ~だから
  あしたり 明日 そーやで それだから
  あば さようなら たるい つまらない
  あらすか ありませんよ ちったあ 少しは
  いがんどる 曲がっている ちゃーと 早速(さっそく)
  いのく 動く どさない だいじょうぶ
  いんね いいえ のーなる なくなる
  げえげえ へど もーはい ぼつぼつ
  すーしい すずしい よーさり
  せばい 狭い ~やん? ~でしょう?
民謡 坂下音頭

おどり初めたが 音頭はこぬか
音頭与三郎 まだ来んか
おんど与三郎 来たことは来たが
はやる風けで 声たたぬ
声のたたぬにや たしかに毒じや
せんじあがれよ 南天を
なるは太鼓よ ひびくはかねよ
遠音さすのは主の声
主さ山ゆきや いつ帰りやんす
おそくて師走の仲頃に 
 坂下の歴史のあけぼのは、今から約九千年程以前の先史時代に始まることが明らかとなっている。
それは昭和二十六年発見された本郷及び、樺ノ木地内の椛の湖遺跡より出土した土器や石器の研究の結果で
あるが、この椛の湖のほかにも坂下には多くの縄文文化の遺跡が存在しており、今日も研究が進められつつある。
刀砥ぎ石
刀砥ぎ石

長坂旧道に沿って岩石が累積しているところがあります。
その中の大岩の一つに、上辺が三日月形に磨り減り窪みとなっており、
他に同じ様な窪みが3ヶ所あるものがありますが、
これは刀を砥いだ跡だとされています。これを通称「刀砥ぎ石」と
言っています。
それは矢淵の旗巻淵の伝説に関連して、戦いの折りに刃こぼれした
刀を此処で砥いだものと言い伝えられています。
なお、ここには高さ56cm程度の可愛らしい馬頭観音像があり、
それには文政八年十月吉日と記されています。

ハナノキ [岐阜県・天然記念物]
坂下のハナノキ群生地
B坂下町上野「椛の湖」の湿地には、ハナノキが自生して見事な群落を形成しています。ハナノキは日本固有の種で、自生地の分布は岐阜・長野・愛知の3県の一部に限られており、ここ椛の湖畔の自生地も学術的に貴重なものです。
ハナノキ
鳥屋
B 小高い丘の潅木の間に3メートル位の高さにカスミ網を張り、囮の鳴き声に誘われて降りた小鳥の群れを、鷹の羽音のする旗の竹竿を振り、「プウープウー」と追い立てる。驚いて飛び立った小鳥の群れが網にかかる。これが鳥屋である。冬に向ってシベリヤから日本海を渡ったり又本州を南下して来た小鳥たちを、文字通り一網打尽に捕えるもので、一朝に二百三百とかかる日も珍しくなかったという。カスミ網猟は四百年も前から行われている方法で、秋の朝の涼気の中で、一杯やりながら焼いて喰う小鳥の味は、格別であった。つぐみ・かしら・めじろ・みやま・あとり・ひわ等の中で、つぐみが最高の美味であるとされた。
B 昭和二十二年このカスミ網猟を見たアメリカ軍は、小鳥を食う習慣を持っていなかったために、極めて残酷である、害虫を喰う益鳥を捕るとは何たることぞと、厳重に禁止を命じたのであった。
野山でみつけるたべもの ・秋
あけび …秋の到来を告げるように、大きな実をぶら下げるあけび。山でとれる果実の一種で、よく熟れて割れたものは甘くておいしい。山の実の王さまと言われる。
山ぶどう …野生のぶどうの中では、もっとも高地にはえ、大きい葉の紅葉が美しい。大きく繁茂するが、実をつける株は意外に少なく、結実する株は、夏のはじめから、小さな実の房を見せている。
野山でみつけるたべもの ・夏
野いちご…つるいばらの木に生えるいちごで、まっ赤にいろむ(熟す)と甘くなる。
山いちご…山にあるいばらの木に生えるいちごで、野いちごより粒は小さいが甘みは強い。
桑いちご…桑の実で、黒くなると甘くなる。食べると口の中が紫色になる。
ぐみ…赤い小さな実のなる苗代ぐみと、楕円形で白い斑点のある大きな、つぐみとがある。
陶器窯用のたきもの伐りと炭焼き
B 坂下では、古くから中央線が走る関係上、物の往来が盛んであった。養蚕業として繭や生糸の出荷、製紙業として障子紙の販売、馬市における仔馬の競売、等人や物の集散地として大変栄えた。
Bまた、周りを山に囲まれ豊富な森林資源を持つ当町は、冬期を中心にした山仕事がおこなわれていた。その主な仕事は、東濃地方の瑞浪・土岐・多治見、愛知県瀬戸に出す陶器窯用のたきもの伐りであった。明治末期から太平洋戦争が終わる頃まで盛んにおこなわれた。
B当時は、「飛騨の切子」といって、飛騨では雪が深いので、山に入りたくても入れないお父たちがわざわざこちらまで出稼ぎにやって来て、百姓家に寝泊りしながら山の木を伐っていたという。
B今のようにチェンソーもなく、手のこぎりで伐る毎日の仕事は過酷であった。伐り倒した木(松・雑木)はさらに40cmの長さに切られ、針金の輪の中にびっしり詰められていく。その後、背板に縛りつけて足元の悪い所を背負って山から出し、道のない所は馬の背で、ある所は馬車に乗せて駅まで運んだ。そこで、誰の物か分かるように焼印を押し、貨車一杯分ずつ仲買人に売り渡し、東濃地方へ中央線で運び出して行った。尚昭和の初め頃は、たきもの一束十二銭、米一升四〇銭だったという。
Bさて、坂下で炭焼きを始めるようになったのは明治時代からである。明治維新によって藩の山や共有林が個人所有のものになり、木材の価値が見なおされてくると、自然生えの雑木を伐って木炭にして売り、その後へ植林をすれば一挙両得になるからと、農家が副業として焼くようになった。
B一番盛んに焼いた時期は、電化製品もない戦前であった。その頃には、山に夫婦住み込みで一年中焼いている人もいるほどだった。しかし、坂下の山は檜や松が多く、炭焼きを冬の仕事としてやる事は少なかった。恵北の地では、川上・付知・加子母が特に盛んであったという。
B木炭は、主に暖房用燃料として使われたが、太平洋戦争の激化によってガソリンが著しく窮乏し木炭車の燃料として使われる程、大変な貴重品で配給券がないと貰えない統制品であった。
B現代は、電気コタツ、石油ストーブ等が家庭に十分普及し、木炭を使うことは殆どない。時として野外のキャンプに使うぐらいで、私達の日常生活から無縁の存在になってしまった。
炭焼きの一例
一、二日目 三、四日目 五、六、七日目 八日目
火を焚く(むす) 火をつける 火をとめる(この間に木を伐る)(炭を俵に詰める) 炭出し、木詰め
人里に出る熊
B岐阜県を代表する動物はギフ蝶とツキノワグマとも言える。日本に生息する大型哺乳類で森林の王者は、北海道ではヒグマであり本州、四国ではツキノワグマである。津軽海峡を境に住み分けているが、本州で捕獲されるツキノワグマは岐阜県が一番多い。餌となる温帯落葉広葉樹(ミズナラ、ブナ等)の天然林があるからだろう。熊はそれらの広葉樹の若芽や実を主食としているのである。
B以前は、坂下の人里にも出没することがあった。冬ごもり前には裏の山で柿の木に登って柿を食べているのを見たというような話はいくらもあった。非常に危険な出会い方をした人もいる。
B自然が豊かな山国 の坂下は動物の宝庫である。道路に飛び出して交通事故に遭うタヌキやキツネもいる。哺乳類ばかりでなく鳥類、爬虫類、両生類、魚類等の脊椎動物や昆虫類等の無脊椎動物の種類も豊富である。このような動物たちといかに上手に共存していくかが課題であろう。
坂下伝説
B木曽義仲は出陣の時には、必ず妻籠の領首樋口氏によって、木曽川を渡舟して坂下神社に代参させ武運長久を祈願していた。平家追討の時、木曽川があいにく氾濫しており渡舟できなかった。そこで、献策を用いて嚆矢を射て、対岸にいた下組庄屋によって代参したことが花馬のおこりであると伝わっている。

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